プノンペン寺院探訪第4弾は、プノンペンの北側にあるQuan am hoi寺院を紹介したいと思います。
プノンペン中心部からTukTukに乗り、1号線→5号線をひたすら北上します
目印らしきものはないのですが、プノンペン北部の漁村であるスワイパー村の手前を左折し、小川を渡る前を左折です
上のQuan am hoi寺院をクリックするとGoogleマップに移動します。その空手クラブのすぐ近くにお寺があります。

小さいですし、Googleマップにも「Quan am hoi寺院」は出てこないのですが、中は綺麗でした

ただ、私の目的は井上さんなのですが、井上さんが見当たりません。

そこで、近くにいた子どもに「井上さん、ナウナー(どこにいるの)?」と聞いてみたのですが、当然のことながら(後述のとおり、井上さんはすでに死んでおり、かつ、このお寺に住んでいたわけでもないので)「知らない」と言われ、諦めかけていました。

<奥に行ってもあるのは仏像ばかりです>

ここで、井上さんについて説明したいと思います。といっても、正直、私もよく知らないのですが…

井上さんは、カンボジア在住の方のブログによると、以下のとおりです。

1990年代後半にカンボジアへと移住し、その後伝説のスワイパー村の案内人として、その地位を確立したものの、立ち上げたウエブ掲示板が原因で日本で有罪判決を受け、その後全盲となりつつも再度プノンペンに戻ってきました。

ざっくりと要約すると、プノンペンの先輩になるわけです。そして、井上さんは2016年9月26日、54歳で永眠されたとのことです。

なお、スワイパー村は、もともと小さな漁村だったのですが、1990年代にはカンボジアにおいて最も有名な売春村の一つになりました。今でも、TukTukに乗ると、「昔は、日本人が一番の旅行者だった」と言われ、その次には「その頃は、モトー(バイク)だったけど、スワイパーにも日本人をたくさん連れて行ったぞ」などと言われることがあります。正直、気持ち悪いです。
なぜなら、このスワイパー村は幼児売春で有名な場所だったからです。売春をさせられているのは、カンボジアやベトナム人の子どもたちでした。ベトナム人の子どもたちは、メコン川流域(ベトナム南部)の貧しい地域出身で、親に売られ、国境を超えてプノンペンのスワイパー村まで連れてこられていた模様です。
CNNのサイトには以下の記述があります。

10代前半の子どもを性産業の闇へ送り出しているのは、貧しさに耐えかねた母親たちだった。

2010年頃になると、スワイパー村への警察の取締りが厳しくなり、また海外のNGOの支援もあって、売春村としてのスワイパー村は消滅し、再び貧しい漁村へと姿を戻しました。

井上さんは、プノンペンに住み、スワイパー村をはじめとするプノンペンの案内人として、生計を立てていた人物みたいです。私が井上さんについて知ったのは、上記のブログやその他のインターネットにおける記事によってです。

それらの記事を読んでいて、スワイパー村は、人間の欲が漂泊の果てにたどり着く淀みみたいな場所だったように思いました。内戦後の復興と経済成長の裏には、その犠牲が存在したはずです。そのような人間の欲望が消耗され、すり減り、形を変えながらこの貧しい漁村に集まり、たまっていったように思うのです。
そして、自らのその淀みにたどり着き、その淀みを愛し、その淀みでしか生きていけなかった一人の日本人のことを、とても人間くさく思いました。
もちろん、当時のスワイパー村は、存在してはいけない場所だったと思います。
しかし、現代社会において、そのような場所はいくつも存在するのですよね。ただ、私たちは、知らないか、知らないことにしているだけで。
売春村としてのスワイパー村も、またカンボジアの(そして、TukTukドライバーが言うように日本人も大きく関与している点で日本の現代史の負の一場面だったと思います。

そんなことを考えながら訪問したQuan am hoi寺院ですが、結局、井上さんの像を見つけることができず、トボトボと帰途につきました。

そんな中、一人の女の子が近くにやってきて、中庭を指差しました
井上さんの像は、この中庭のすぐ先にある建物の中にあったのです

<井上さんの像とその前に置いてあるのが井上さんの生前の写真と思われます>

無事、井上さんの像に手を合わせ、プノンペン中心部に戻ることができました。

井上さんの像は、この入口を入ってすぐ右に曲がり中庭に出て、その後、すぐ左に曲がった建物の中にあります

オススメ度 ★(井上さんに興味を持った方だけで!

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